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i forgot....

そうだ。
ブログやってたんだ・・・。

# by norida_o | 2006-10-07 00:33 |  

kind and ordeal

どのようなゴールデンウィークをお過ごしになられたであろうか?
私にとって大型連休の現実を知った今回。
人人人・・・・。
なるほど、今回もまた一つ社会を知った。

長崎に帰郷し、友人の結婚式に出席すべく大分へ。
その内容を記しても、見ている方には何のプラスにもなるまい。
記述は遠慮させていただく。
とりあえず、疲れた。

さて、今回は何を書こうか。
大したテーマも思いつかない。
公募でもしたい気分である。


今回のGWでは、多くの方にお世話になった。
この場を借りてお礼を申し上げる。
お陰で楽しい連休を過ごせ、また新たな気持ちで仕事に取り組むことが出来よう。

このグダグダBLOGに自分でウンザリしてきた。
今回はこの辺で打ち止めとさせていただく。
次回は一体いつかは聞かないでほしい。


春と夏の間にある優しい季節。
優しさは試練の裏返し。
木漏れ日は、上から注がれる優しさ。
下からのぞいた太陽は、木々を隔てた眩しい試練。

# by norida_o | 2006-05-07 23:11 |  

width of ideal

「あっという間」という表現では、捉えきれない一ヶ月が終わった。
歩むスピードとは相反した焦りが身を襲い、から回った両足は、どこか宙に浮いたような感覚を与えた。
春の陽気が日に日に気温を増すように、環境の変化に徐々に慣れていった。計ることの出来ない微々たる変化を喜びに変える、春の日差しが心地よく感じるまでに。
とうに桜は散り、もう次の準備を始めていた。桜に例えられた新入社員は、いつまでも鑑賞されていてはいけない。今年の桜は一体何を教えてくれていたのか。
希望と不安は、うまく融合し、新たな化学反応を発見した。

生活面でもこの記事が書けるまでに落ち着きをみせ、充実した生活を送っていると自信を持って報告できる。
忙しさを口に出せば、逃げ道を捜しているようで、陳腐さをさらけ出しているようで。
楽しさは人を試しているような気がする。


私のことはこれぐらいにしておきたい。
ここまでたどり着けた感謝を胸に置き、今回は「理想と現実」について言及したい。
これからいろいろな試練を超えて未来を得ようとしている奮起している方々に向けて、少しでも参考になればと思い、このテーマにした。


「理想と現実」

理想と現実なんて言葉は、一体どの定理より生まれたのか。
理想は一体どこまでの触れ幅を持っているのか。
現実は何を持って現実といっているのか。

理想を追求した時、その理想を一言で語れるような曖昧さ。
理想の拘束は、現実を遮断しえない。
理想の追求は、可能性からの逃げかもしれない。

理想と現実を考えることは、きっと誰でもしている。
もうひとつ、「触れ幅」について考えなくてはいけないのではないか。
現実にぶち当たったときの自分の受容量。

理想が理想ではなかったときの自分を想像することが必要なのではないか。
定数1を求めた自分は1.0という拘束のため、0.1のズレも寛容にしてくれない。
もし得れた理想が1.0ではなかったら・・・勝ち得た数字は一体何の意味を持っているのか。


決して妥協ではない。
柔軟さを求めている訳ではない。
考えなくてはいけない。


理想の触れ幅。

# by norida_o | 2006-04-30 23:39 |  

campus note

これが大分で書く最後の記事であろう。
6年間の思いなどと、硬い文面にする気はないのだが、やはり最後も私らしく。

6年前、私を迎えてくれた大分の満開の桜は、今私を見送っている。
最初の一行に書いた大分の暖かく優しい情景。
そこから、沢山の思い出を書きなぐり、今日、私のキャンパスノートは、最後のページを迎えた。

春の陽気は、時に無常で、試練を与えてくれる。
人として乗り越えなくてはいけない必然を。
そんな成長に反発するかのように流した涙が、春の大地に落ち、いつか実り、花を咲かせるであろう。

多くの方々に感謝を述べたい。
先生、先輩、後輩、そして、友に。

かつて、偶然と思っていた出会いは、今、必然として納得できる。
出会えたことに感謝している。
同じ時間を共有できたことに喜びを感じている。
本当に楽しかった。

2年前の学部卒業の時は、こんな気持ちになれるなんて思いもしなかった。
多くの友を送り出し、院に進学した自分に、疑問を感じていた時期もあった。
しかし、今、私の心は今日の天気の様に晴れやかで、一点の曇りもない。

今の私が、この私でよかった。



多くの感謝を全て書くことはできない。
文面に表せるほど、安くない。
癖のある書き方しか出来ない私であるが、素直に「ありがとう」と記したい。

何か照れくさくはある。
これを読んでくれている人は、私が多くを語らなくても、分かってくれる人ばかりだから。

それでは、この辺で、筆を置きたいと思う。
キャンパスノートは、ここで閉じる。

今まで本当にありがとう。



追伸:尊敬している友に

どうお前を表現したらいいのか悩む。
いつからか、こんなにも密になったのは。
学部の時、さほど話したことのなかったお前が。

「馬が合う」という表現が一番的確ではないだろうか。
感性、表現、性格、環境、・・・・・・・

お前からは沢山のことを学んだ。
院を思い返すと常にお前が浮かぶ。
お前から貰った最後の言葉は決して忘れることはない。

お前がお前らしくこれからも生きていく事が、一番嬉しい。
これからも尊敬できるお前でいてくれ。
そして、また飲もう。語ろう。笑い合おう。

お前がいてよかった。心からそう思う。ありがとう。




「毎日を大切に生きる。自分に素直になる。感謝を忘れない。
  簡単なようで、一番難しい。」


3月25日 旅立ちを控えた何もない部屋で、感謝を込めて・・・・

# by norida_o | 2006-03-25 16:49 |  

confidence

モノを書くということ。
作者の一種の意思表示である。
書き手と書いた方が鮮明であろうか。

今回は勝手ながら、私が作者であるケースで話を進めさせていただく。

私は、あるテーマに沿った記事を書くことを、昔より得意としていた。
得意と言っても、それは作者自身のスキルに大きく左右されるため、私にとって得意なのであって、上手いや巧み的なニュアンスはまったく含まれていないことを、先に述べておく。
もちろん今まで、論文大会や、小論文等で賞など取ったことなどなく、誉れたことなど皆無である。

では、得意とは?と話はそこで停滞する。
この答えは私にも見えていない。
この段階では、テーマを持った話を活字にすることに抵抗を感じないと表現する。

いつかの新聞記事にこう書いてあった。
「中学、高校といった学生時代に、反省文を多く書かされた人は、文章表現に長けている」
この記事の真意は定かではない。
このことについては、これ以上言及しないでおこう。


さて、そろそろ本題に入りたい。
テーマ性を持った文章。
これまで、私も多く書いてきた。
このブログ内のみならず、至る所で。

その代表であり、最近の話と言えば、就職活動ではないだろうか。
各分野によって、その特性は多様ではあるが、必ず就職活動をする(した)人は通ってきた道であろう。

履歴書、エントリーシート、筆記試験。

個性も変哲もないテーマを与えられ、数ある縛りの中で、個性、私案を記事にしなくてはいけない。


ここまで私が作者であるケースの話は進んできた。
今回の私の答えは、「テーマを与えられた問題を記事にするのは、得意である。」となる。
つまり、今までの話を考慮に入れても、私にとって、あるテーマについて記事を書くことは苦痛ではない、ということである。

それは、私が捻くれていることが要因であると解釈している。

前述の通り、テーマに対して、個性、私案を生み出さなくてはいけない場合、そこには「発想」という返答が生まれてくる。

実際の私の体験(筆記試験)を例として、記述させていただく。

テーマは「バリアフリー」
バリアフリーについて言及を求められた場合、どのような私案を持っているだろうか?

私の答えは、「現在のバリアフリーは、バリアフリーではない」となる。
私がそこで書いた記事を全て書くのは止めておくが、概要だけ記述する。

「選択肢のない自由(フリー)を現在は、バリアフリーとして唱えており、一般にそれについての、障害(バリア)はないと考えられている。【選択肢のない】というのは、選べないという事であり、障害者シートといった拘束を指す。
障害者を押し込めるようなシートやブースなどが、果たして障害者からバリアを取り除いたと言えるのであろうか。いつまで経っても障害者の見ている景色は、一緒なのではないか。健全者の造った都合の良いルールに追いやられているだけではないだろうか。健全者の社会に対する負い目、世情がバリアであるような気がしてならない。
それを無くすことがフリーとなってはいないか。バリアフリーをハード面だけで捉える時代は、もう終わらなくてはいけない。心のバリアフリーでしか、障害者の見ている景色は見えない。」

簡単であるが、実際私の書いた記事の概要である。
少しでも参考になってくれたら嬉しい。


総括として述べたいのは、求められている記事とは「自信」ではないだろうか。
上記の私の記事にしろ言わば、駄文である。
自信ない記事は、伝わらない。
自分で言いたい事の分からないモノを他人に伝える方法を知っている人はいないだろう。

文字が人ほどに意思を伝える効果を持っているなら、それは只の文ではなくなる。



記事が自信を得て、自身になる。

# by norida_o | 2006-03-08 05:15 |  

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