個人を構成するパズルのような規則性を持った幾何学的な無数の組み合わせ。
その一つ一つのピースがうまく噛み合わさって私という一個体が構成されている。
ある年齢をもってパズルは完成を果たし、その年齢を境にパズルは崩壊を進めていく。
年齢に多少の差異は見られはするが、20代後半が大きな境になるのではないだろうか。
パズルを組み上げる作業とは、自己を形成すること。
ピースをうまく当てはめるのか、無理やりピースを当て込むのか。
徐々に形を成していくパズル。一つ一つのピースが興奮を伴う。
未完成のパズルは過ちを寛容にし、ピースの上手いやり取りによる修正、新しいピースの出現をも導いてくれる。
完成したパズルを保持することは、自己を守り抜くこと。
あまりにも脆く組まれたピースを必死に保とうとする。
その一方、完成したパズルに疑問を抱く。
丁寧に当てはめたピースの一つに後悔が伴う。
一つのピースを修正することは、周辺のピースの崩壊を意味する。
もしかするとそのピースはパズルの核を成すものかもしれない。
パズルを保持することは、パズルを形成することより大変であり、意味のあることである。
次第に剥がれていくピース。
剥がれ落ちたピースを再び拾うことは出来ず、何か手ごろなもので代用してしまう。
それが元のピースの形と合い違っても、無理やり押し込めることで、パズルを何とか保っている。
あるいは、ピースが足りない状態のまま、パズルをパズルとして機能させてしまう。
気付いた時にはぽっかりと穴の開いたパズル。
それでもパズルがパズルであるのは、やはり核となるピースがしっかりとパズルにあるからだと思う。
核となるピースとは一体何なのか。
パズルがパズルであるための無数のピースの中の核。
パズルのためのピースなのか、ピースのためのパズルなのか。
核となるピースが多ければ多いほど、パズルの構成は強硬なものになるという、当たり前。
人生という名のパズル。
人生の核となるピース。